スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

午前十時の映画祭第二弾

僕も時折見に行っている午前十時の映画祭の第二弾の上映作品のラインナップをメモ程度に残しておきます。

ほとんど個人的なものです。

「サンセット大通り(1951)」
「レベッカ(1951)」
「風と共に去りぬ(1952)」
「バンド・ワゴン(1953)」
「シェーン(1953)」
「禁じられた遊び(1953)」
「麗しのサブリナ(1954)」
「素晴らしき哉、人生!(1954)」
「汚れなき悪戯(1957)」
「道(1957)」
「大いなる西部(1958)」
「情婦(1958)」
「甘い生活(1960)」
「荒野の七人(1961)」
「さよならをもう一度(1961)」
「ナバロンの要塞(1961)」
「ハスラー(1962)」
「シベールの日曜日(1963)」
「シャレード(1963)」
「鳥(1963)」
「007/危機一発(ロシアより愛をこめて)(1964)」
「荒野の用心棒(1965)」
「サウンド・オブ・ミュージック(1965)」
「ドクトル・ジバゴ(1966)」
「夜の大捜査線(1967)」
「華麗なる賭け(1968)」
「卒業(1968)」
「真夜中のカーボーイ(1969)」
「ひまわり(1970)」
「M★A★S★H(1970)」
「フレンチ・コネクション(1972)」
「ダーティハリー(1972)」
「アメリカン・グラフィティ(1974)」
「ゴッドファーザーPARTII(1975)」
「ザッツ・エンタテインメント(1975)」
「ロンゲスト・ヤード(1975)」
「タクシードライバー(1976)」
「がんばれ!ベアーズ(1976)」
「キャリー(1977)」
「ブラック・サンデー(1977・日本未公開)」
「エイリアン(1979)」
「ディア・ハンター(1979)」
「ヤング・ゼネレーション(1980)」
「ディーバ(1981)」
「E.T. 20周年アニバーサリー特別版(1982)」
「バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)」
「ミツバチのささやき(1985)」
「月の輝く夜に(1988)」
「シザーハンズ(1991)」
「友だちのうちはどこ?(1993)」

公式ページ

『M★A★S★H』『タクシードライバー』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』あたりは特に見たいですね。
スポンサーサイト

なんか物足りないな『グラディエーター』

gladiator.jpg

『エイリアン』『ブレードランナー』『ブラックホーク・ダウン』『アメリカン・ギャングスター』のような傑作をたくさん作ってきたリドリー・スコットが監督した作品です。

アカデミー作品賞こそとりましたが、監督賞はもらっていないです。アカデミー賞って本当に見る目が無いとですよね。結局、キューブリックもヒッチコックも監督賞もらう前に死んでしまったわけですし。

というのはさておき、空前絶後の金を書けまくった歴史大作なわけですが、出来は総合的に見ると微妙です。

まず、主人公はラッセル・クロウ演じるローマの将軍マキシマス。こいつは本当に強い。そして人望もある(本人とは相当かけ離れてるんだろうな)。

このラッセル・クロウがゲルマニアを制服しローマ帝国拡大を完成させます。

いろいろとはしょりますけど、そんなことがあって国元へ帰ろうとしたら、今の皇帝の息子(ホアキン・フェニックス)にはめられて、将軍の地位を追われ、奴隷となりグラディエーター(剣闘士)となる…

おおざっぱな話はこんな感じです。

ストーリーは正直ぐちゃぐちゃです。最初の1時間くらいは、見ているのもだるいというレベルです。

ストーリーとか適当でも、アクションを多用しまくってくれるなら何ら文句ないですが、どーでもいいようなドラマがずーーーーっと入っているのであんまり盛り上がりません。

歴史を再現するのに金を使いすぎたのではと訝しがりたくなるような構成です。

一番酷いなと思ったのは、ラストですね。

ホアキン・フェニックスを最後の戦う羽目になるのですが、正直ホアキン・フェニックスはザコとわかってるのでそんなに盛り上がりません。クライマックスでわるい意味で収束していきます。

150分くらいあるんですけど、真ん中は素晴らしいのですが、残りがどうかなと思ってしまうので編集でもっと切ってしまえばよかったのにと思いました。正直長いです。

しかし、監督はリドリー・スコットですからタダでは起きないですね。

アクションは本当に目を見張るものがあります。

ドラマの部分はどうでもいいからアクションだけ見せろよと言いたくなるくらいアクションに関してはよくできています。が、いかんせん中身のない映画ですのでほとんど忘れてしまったので書けないです。

アカデミー作品賞をとった映画はたいてい微妙ですが、この『グラディエーター』もご多分にもれず微妙です。

同じアカデミー賞をとった史劇でも『ブレイブハート』の方が圧倒的にいい作品だということがよくわかりました。

見る前に期待していた形と随分と違う映画でしたね、『グラディエーター」。オススメしないです。

10月に観た映画と読んだ本

もう11月も半ばですが、一応記録だけはつけておきたいんで。

映画は9本、本も9冊でした。

ラインナップもついでに。

映画
『Hana-bi』
『プラネット・テラー』
『ソナチネ』
『エクスペンダブルズ』
『シルミド』
『パルプ・フィクション』
『レインマン』
『BROTHER』
『ニューヨーク1997』


『みんな自分がわからない』
『20歳のときに知っておきたかったこと』
『ビートたけしの世紀末毒談』
『そのバカがとまらない』
『工作少年の日々』
『私は世界で嫌われる』
『さあ、才能に目覚めよう』
『こんな時代に誰がした』
『批評の事情』

北野武関係ののものが多いですね。まとめて見て、読んだので北野武の世界観はある程度わかったつもりです。何とも傲慢ですね。

ただ、重い本をまったくと言っていいほど読んでいないです。帰宅部ということを全然生かし切れていないです。

映画に関しては、『レインマン』以外はいいラインナップだと思います。『レインマン』はアカデミー作品賞とってあれかよという感じでしたね。『ニューヨーク1997』はB級映画なんで別に叩こうとかは思わないです。CGを使いまくった映画や金をかけまくった映画に慣れた身としてはちょっと足りないかなと思ってしまいました。

『プラネット・テラー』は面白かったです。『グラインドハウス』の片割れですね。ロバート・ロドリゲスって今まで作品見てなかったんですけど、意外にいいですね。ほかのもチェックしてみようかと思います。

11月はもう半ばですが、読書量を少し増やそうと思います。帰宅部なんで時間はあるはずなののうまく使えていないというね。

あと、どうせ読むのならもうちょっと歯ごたえのあるものも読みたいです。小説でも結構古典のもの、『赤と黒』とかを読もうかと思います。『赤と黒』は本買って放置中なんで積んどくゾーンから引っ張り出しましょうかね。

書評も時間作ってやるようにします。

まずはネットに入り浸る時間をなるべく減らすようにします。

パワーのある文章を書きたいぜ

「~だぜ」って自分で書いてみると、本当にださい表現だなと思ってしまいます。まあ、いいや。

ちょっくらミクシィのほうで自分の将来の夢で「文章書いて生きていきたい」みたいなことを書いたのでそこから派生した話を書こうかと思います。

タイトル通りパワーのある文章というのは一体なんなのかと少し考えてみました。

誰かの文章を読んだとき、読むのをやめることができないという事態ってありますよね。今までそこまで多く体験したことはないのですが、それこそが僕の考えるパワーのある文章と思ってください。

僕の実例で示すと、『ご冗談でしょうファインマンさん 上』『国盗り物語』『天使と悪魔』『22011年新聞テレビ消滅』『14歳からの社会学』あたりでしょうね。ざっと例を挙げて見ましたが、それにしても貧弱なラインナップですね。17歳のクソガキが書いたということでご勘弁を。

僕は、一気呵成に読んでしまうような文章が大好きです。そんな文章を自分でも書いてみたいなとよく思います。

しかし、今までたくさんの文章に触れてきましたが、そう思えるようなものには多く出会うということはなかったように思います。

それは、やはり運によるものが多いからだと思います。自分がちょうど読みたい、そして文章がよくできているという場合ではないとそういったことは起きないと思います。

ですが、その発端となるような状態に持っていくためには文章の能力が必要になります。そのような文章の能力の習得に関してはどうでもいいです。

それよいりも、文章がパワーを持つには何が必要なのか考えてみると、やはり「勢い」ではないかと思います。

茂木健一郎が本で書いていましたが、文章は一気に書ききる方が、構成を考えた上でのものよりもいい出来になるとのことです。

僕も思いますが、一気に書いた方が流れを自分の中に持つことができて読み手側に面白さを直接ぶつけられるような気がします。

どんなジャンルであれ、面白いというのは存在します。そこにあるのは、やはり思想なのではと思ってもいます。

どんなにきれいな文章でも、本当にそう思ってるのかと訝しがりたくなるような文章を僕は何度か読んだことがあります。

優等生的な文章よりも、少々破壊的でもパワーのある文章を書いた方が結果的には読者を満足させられるような気がするのです。

そんな文章を書きたいと常日頃思っています。



うーん、こんなこと書いたけど、中二病全開と揶揄されても仕方のないよな内容ですね。ブログのタイトル、「中二病日記 漆黒・刹那・飛翔」とかに変えようかな(笑)

「アウトレイジ」への第一歩『TAKESHIS’』

TAKESHIS.jpg

北野武が悩みに悩んだ三部作の一作目。早いうちに言っておきますけど、こればかりは北野武信者の僕でも擁護できないほどつまらないです。

この『TAKESHIS’』は直線的なストーリーが存在しません。あるのは今までの映画のシーンやよくわからないシーンの羅列です。

最初は、「つまらねーな」とか思ってましたが、途中で北野武の考えていることに気づきました(間違っているっかもしれませんが)。

北野武はいろいろと悩んでいてということをヒントにこの映画を読み解くと、ひとつの答えがでました。

それは、「2つの自分に悩んでいた」ということです。

劇中では、北野武とビートたけしの2人のたけしが登場しますが、もちろん北野武とビートたけしは比喩となっています。

北野武は映画監督(芸術家)としてのたけし、ビートたけしは芸人(人気者)としてのたけしを表しています。

好きな映画をやっていくには映画つまり芸術に没頭したいわけですが、芸人つまり人気者としての自分を捨てきれないため、完全にのめりこむことができないということを表しているのだと僕は考えました。

直線的なストーリーが存在しないということは、何かひとつのことをずっと問い続けているということでしょう。それがいろいろな形で出てきます。

美輪明宏が予想外にもストレートなセリフを使ったことには驚きましたが、その問いをずっと繰り返し繰り返し映像で見せてきます。しかし、ここはいつもの北野武映画同様、直接説明することは基本的にありません。

北野武は劇中では役者を目指しているという設定ですが、それを周りから邪魔され進みにくい状況にされています。それに抗うというストーリー運びになっているということは、北野武がやりたいのはやはり映画ということになるのでしょう。

ネタバレになるので押させておきますが、この『TAKESHIS’』は北野武が自分から脱却し新しい自分へと成長するための映画だと思います。

北野武なりの回答は出ていますが、まだまだこの段階では結果的に決別はできなかったようです。

この作品はお世辞にも面白いとは言い難いですが、傑作『アウトレイジ』に至るためには必要なプロセスであったと思います。北野武の映画史の中ではそうはいっても重要な作品となっています。

まだ2作、悩みと戦う作品が続きますが、『アウトレイジ』のためなら仕方ないなと正直思います。
カレンダー
10 | 2010/11 | 12
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
検索フォーム
リンク
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新記事
FC2カウンター
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。