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期待値について

すみません。今回はあまり時間がないので、手短に書けそうな話を書きたいと思います。これは、この前映画を観ていて思いついたことです。

タイトルは「期待値」ですけど、確率に出てくる、「期待値」とは別物です。造語みたいなもんだととらえてください。

僕たちは、何かしらの他人の行動や言動に対して、「期待外れだ」「期待通りだ」という言葉を使ったりします。しかし、それらの言葉は一体どういった基準で発せられるのかを今回は考えてみます。

従来、期待外れというのは、自分の期待値に比べて、相手の結果が低いときに怒ります。たとえば、テストで80点を取りそうな子が50点だったら、期待外れに近い情動を持つはずです。

それに対して、期待通りというのは、自分の期待値を相手が満たしてくれることです。たとえば、またテストの例を使うと、80点を取りそうな子が80点を取るなどです。

「期待外れ」「期待通り」の2つをとりあえず、考えましたが、これからはひとくくりで扱います。

これらのことは、すべて相対的なものです。というのも、期待値が30点のときと、80点のときでは、50点を取ってきた子供に対する、言動は違うはずです。ほめられる子もいれば、怒られる子もいるでしょう。

しかし、両者に共通することは、期待値は基本的に自分の外にあるということです。つまり、自分から変更することはできないということです。親や先生に期待をされても、自分では勉強する以外のことはできません。

期待をされるというのは嫌なものです。当然にできること(掛け算九九とか)なら、期待以前の問題ですけど、できるかできないかが微妙なことなら、プレッシャーになるだけです。プレッシャーに押しつぶされてしまうということもあるでしょう。

そこで僕の言いたいことは、「期待値を下げまくる」ということです。もっと言えば、期待をしないということです。テストで、期待値が0点だったら、子供が10点でもほめられます。期待をしていなければ、誰かが遅刻しても、「よく来てくれた」と言えるはずです。

期待をしないことはほかにもいい点があります。それは、「寛容な人間になれる」ということです。結構なことがっても、何も言わなければ、少なくとも嫌われることはないでしょう。それどころか、寛容な人と思われて好かれる可能性すらあります。

僕自身は、なるべく寛容な人間になりたいと思っているのですが、そう簡単にはいかないです。正直、結構短期ですし。期待をしないなら、どんなことでも楽しめるので悪いものではないと思います。
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