スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

常識について考えてみた

なんだかニコニコ動画でありそうなタイトルですけど、そんなことはスルーして、常識とは何かということを考えてみました。といっても、書いてる途中に考えるんですけどね(なんと無責任)。

常識って、みんなの共通意識みたいなものだと思います。「今の総理大臣は鳩山だよな」「そんなの常識だろ」というような、会話がどこかで聞こえてきそうですが、基本的に「あたりまえ」のことについては常識という言葉が通用します。

「地球は丸い」「1日は24時間」「冬は寒い」「遅刻してはいけない」などと、常識を挙げていくときりがありません。

しかし、常識って誰が決めたんでしょう?この「誰が決めたの?」という質問は幼いころよくみんなで使った覚えがあります。その記憶もねつ造されたかもしれませんが。

僕が思うに、常識ってのは誰が考えたものでもなく、自然にそうなったものだと思います。普段は意識しないものですから、それが常識になる時も、自然となっていったと思います。ですから、誰も疑わないのではないかと僕はにらんでえいます。

多くの哲学者の仕事はその常識を疑うことにあると思います。「生きることは何か?」ということに関しては、「生きてんのは当たり前だからそんなことどうでもいいだろ」と普通は考えるはずです。「時間とは何か」と言われたら、「事前に過ぎて行くもんだろ」と誰かは応えると思います。

常識と言うのは、当たり前であるがゆえに誰も疑いを持たないものです。さらに言うと、基本的に会話でも表層には出てこないです。

常識と文化は似たようなものです。両方とも、自分としては当たり前で口に出すこともないでしょう。しかし、ところ変われば環境も変わります。日本とアメリカの文化が違っているように、日本とアメリカの常識も同じとは言い切れません。

両方とも、暗黙知のように、親や親せき友人などを通して自然と学ぶものです。自分としては学ぶ意識はなくとも学んでいるのでしょう。日本語を話せるのは今では当たり前ですけど、話せるようになるまでには結構な時間を要します。

常識というのは、他人とは話さないものですから、自分だけが違っていると恐らく後ろ指を指されるでしょう。ですから、誰も話をしないし、触れることもないです。いいかえると「あいつも、こいつも自分と同じように考えている」という風に自分は考えているわけです。貨幣と全く同じですね。

だからこそ(だからという接続詞はふさわしくないと思いますが)、常識を疑うというのはある意味重要なことです。なんたって、全人類を敵に回すようなことですからね。ガリレオが地動説を唱えて、裁判まで食らってしまったように。ウェゲナーが大陸移動説を唱えて、一蹴されたようにに。エジソンが「1+1=2はなぜか?」と聞いたら、学校をクビになったように。

たいていの偉人は、常識に疑問を抱き、何かしらの報復をされます。それは、みんなが当たり前だと思っているものが瓦解したら、信じていた人は立ち直れないからでしょう(少し言いすぎですが)。自分の考えと言うよりも、根本的に否定をされるから真っ向から否定をするのでしょう。

そういう意味で、僕は常識を疑うことはやめないと思います。

こんなクソのような文章を読んでくれたありがたい人はいたでしょうか?もしもいたなら、拍手でもつけてください。あれ、拍手ってつけるの面倒ですけど、つけてもらえると書いている方は結構うれしいものですよ。くだらねえで終わらせないでいただきたいですねえ。
スポンサーサイト

comment

Secret

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
検索フォーム
リンク
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新記事
FC2カウンター
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。