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風邪をひいて考えたこと

風邪をひいた。

よくあることといえばよくあることなのだが、風邪をひいたことによっていろいろなことを考えることができた。

まず、僕は高校生なのだが、風邪をひいた際には当然家族からの気遣いみたいなものがある。

それは至極当然のものだと思う。

しかし、僕が一人暮らしだったらどうだろうかと考えたら、多分自分ですべてをやらなくてはならないと思う。

友達も助けに来てくれるかもしれないが、基本は自分だろう。

その時、形式的であれ家族がいるというのばけっこうな救いに近いものになるのではないかと思う。

家族とは一体何なのかということを考えると、定義が非常に難しい。

歴史的な背景に関してはまったくわからないが、サム・メンデスの映画に出てくるような家族は本当に家族であるのかわからなくなってくる。

とくに今の時代は未婚社会になっているのでなおさらだ。

家族は愛があるものだとは正直思わない。僕の家族は典型的な核家族なのだが、愛情にあふれているとは思えない。

しかし、それでも家族だと言えるのは家族という制度にのっとった行為をしているからだろう。

朝起きたらおはようと言い、家から出るときは行ってきますと言う。

これらはたいしたことではないが、これをやらなくては家族とは言えない。

家族も他者であることには違いはないが、赤の他人との一番の違いはある種のゆるいコミュニケーションがあることだと思う。

家族間の会話なんて基本的にたいしたことは話さない。もちろん、家族で何かをする際には重要な話し合いになるが、日常的には明日の天気とかその程度だ。

家族間の会話と友達との会話は似ているかもしれないが、一番の違いはさっきも言ったように、儀式的な行為をしているかだけだと思う。

そこが出発点となり家族内ではいろいろなことが行われる。

風邪をひいたときに看病してもらえるのはそういった基礎があるからこそだ。

これらの話から僕は一つのことを導き出したい。

それは家族は形式さえ則っていれば、問題ないということだ。

例えば、男5人のルームシェアでも家族になりえるということだ。

現代は朝日新聞で連日書いている(「孤族の国」とう連載)ように、無縁社会という言葉は非常に重要なキーワードになっている。

それに抗うにはどうすればいいのかということを考えると、陳腐な表現だが、「みんなで協力する」しかないのだ。

『サマーウォーズ』という映画がある。この映画の詳しい話は割愛するが、親戚の繋がりの強さが世界を救うのだ。

親戚間の結び付きは今の時代廃れており、ノスタルジーにしかならないという指摘をされかねない内容だった。

すでにこの『サマーウォーズ』で描かれたような家族モデルはほぼ崩壊している。ほとんどの家族はバラバラに等しい。

この旧世代のモデルから脱却した後には、やはり雑多な人々が一同に暮らすモデルが今のところ一番に思える。

所詮は仮説でしかないが、今の時代を生き残るには互いに協力し合う能力が必要となるだろう。

その能力は学校の机上の勉強だけでは絶対に身につかない。

個人個人が自ら目的意識を持ち、コミュニケーション能力を高めていくほかないと思う。

特に今の時代はコミュニケーション能力がある人が幸せに暮らせるようになっているとも思う。
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