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ブログの更新について

再三書いている気もしますが、最近ブログの更新が滞っているのはいくつか理由があります。

一番は、受験期ということでやはり忙しいということ。そして、更新するネタがないことです。

アウトプットをするためにはやたりインプットが必要と考えているため、今書くのは無駄だなと考えています。

大量にインプットした上でアウトプットしなくては意味がないような気がするのです。

今の時期はそれが大変やりにくいので、受験が終わり次第読書等を再開し、更新をしたいと思います。

ということで、基本的に来年の3月頃まで更新を凍結します。

ちょこちょこ書く可能性もありますが、あまり期待しないように。

『阿修羅ガール』舞城王太郎


阿修羅ガール (新潮文庫)阿修羅ガール (新潮文庫)
(2005/04)
舞城 王太郎

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舞城王太郎の作品で初めて読んだのは『煙か土か食い物』だった。大森望と豊崎由美の『文学賞メッタ切り』で、メフィスト賞がかなりこのう評価ということで名前の知っていた舞城王太郎に手を出したのだ。

『煙か土か食い物』は、普段ミステリなど読まない僕が、あれよあれよとラストまであっという間にたどり着いてしまうような作品だった。ミステリの文法は一切知らないが、どう考えても普通ではない想像力が出現したんだなと感じた。

そしてこの『阿修羅ガール』。三島由紀夫賞の受賞作品だそうだ。なにかしらの賞を受けているならいいんじゃないかと思い、読んだ。

相変わらずの舞城節だった。

視点もどんどん変わり、次々に現れる場面にめまいを覚えそうになる。何が何だか把握するのが精いっぱいというところだろうか。

しかし、異常なまでの技法を持っていることを感じさせる。従来の小説えはまずお目にかからないような技がどんどんでてくる。

また、やはり特筆すべきなのは、想像力に他ならないと思う。

随分と場面が飛んだり、舞台も変化するが、すべてが実はつながっている。しかし、その数が異常だ。よくもおも思いつくなと思わずにはいられないほどたくさんの世界が登場する。

いわば、クエンティン・タランティーノの『キルビル』のような、舞城王太郎の世界が物語になっているということでもある。

自分の世界であるため、ストーリーはあるがない。それで最後まで引っ張るのだ。それができるのが舞城王太郎なのだ。

僕の想像力をはるかに超えているので、解釈しきれない部分もたくさんあったことを付記しておく。

『婚前特急』(2010)

監督と脚本を務めた前田弘二という人のことは寡聞にして知らなかったのだが、なんでも初の劇場公開作品らしい。

はたして他者の内部を本当にわかることはできるのだろうか。

僕たちは誰かのことを知っていると思っている。しかし、それは言動や行動を見て僕たちがどう思ったかやレッテルを張ってるだけにすぎない。

この『婚前特急』はそこをうまくついた快作となっている。

自分は相手を恋人と思っていたが、相手はそうは思っていなかった。そこから出発するドタバタ劇はなんとも微笑ましく、また身につまされる。

人間はお互いに本質的には完全に理解などできないからこそ会話をする。また、会話だけでは不十分だから行動を共にする。決して理解しきることなど不可能なのにもかかわらず。

男と女というのはとりわけそうだろう。「女ってわからない」「男ってわからない」この言葉を一体何度聞いたことだろう。しかし、やはり恋愛に限らずなんでもはわからないからこそ面白い。

そんな理解を過程5人の異性と付き合うという設定を用いてを描いたのがこの『婚前特急』なのだ。

当然、その設定も存分んい発揮されてはいるのだが、やはり人物が多く全員を描き切るのはできていなかった。19歳大学生などは、ほとんどいないも同然だった。

他の異性との絡みをもっと詰め込んでくれたならさらによかったことだろう。

『英国王のスピーチ』(2010)

よくも悪くもアカデミー作品賞らしい映画、以上。

『ゼロ年代の想像力』宇野常寛


ゼロ年代の想像力ゼロ年代の想像力
(2008/07/24)
宇野 常寛

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映画ファン、いや映画好きとしては昨年公開された『告白』をめぐる論争というものは非常に面白いものだったと思う。現時点で僕のわかる範囲のことを書くと、結局のところ『告白』を肯定する人も批判する人も同じところを言っているわけだ。

詳しい説明は省くが、『告白』の争点はなにかと言うと、「映像」である。

中島哲也監督は『告白』で、CMで多用されるような記号的表現をちりばめた映像を駆使した。それが、肯定派には「新しい!」と受け入れられ、否定派に派「こんなの映画じゃねえ!」と受け入れられた。

僕の以前書いた記事では、『告白』についての意見を書いている人たちの姿勢を批判するという「逃げ」の意見を書いた。

どちらについても結局は批判されるわけだし、という思考があったからというのもある。しかし、『映画秘宝』を読む僕としては単に、『秘宝』の嗜好するものだけを受け入れるという姿勢いかがなものかと思っていたために、否定に回らなかったのだ。

映画に興味のない人には申し訳ないことに、前置きが長くなった。

この『ゼロ年代の想像力』はこの状況をうまく言い表した、意欲的な作品となっている。

というのも、1990年代の『エヴァ』に見られた、「他者を傷つけるのは嫌だからひきこもる」というスタンスから、ゼロ年代では「そんなんじゃ生き残れないから、自分の信じたいものを信じる」というスタンスに編成を遂げたというのが骨子となっている。

本書ではゼロ年代の状況を深作欣二の映画から「バトルロワイヤル的状況」という表現をとっている。

どの物語(意見)を信じるかという問題において、どれを選んでも絶対的な解は存在しないために、好きなものを選んでいるというのがゼロ年代の状況ということだ。

そして、その根拠のなく自分の信じる物語には必ず相反する意見というものが存在する。互いに無根拠に物語を信じているため、両者はお互いを受け入れることは自動的に不可能になる、というのがおおよその話だ。

先ほど、『告白』を例に出したが、まさにその通りである。

『告白』の公開は2010年とゼロ年代ではない。しかし、同じような状況が渦巻いていることは確かだろう。

結局のところ『告白』論争は決着がつかなかった。本書の理論にのっとれば当然のことだろう。

本書の結論はそういった議論を進めていたわりには、地味なものへと回収されてしまった感も否めないが、今を取り巻く状況をポップカルチャーで読み解くというのは面白いものだと思った。引き続き、彼の著作を追おうかと思う。
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